330年の歩み
元禄元年 (1688年) |
柴沼庄左衛門として名字帯刀を許される。土浦藩の大庄屋のかたわら穀物・肥料・雑貨販売を手広く行う。醤油、味噌醸造を始める。 |
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明和2年 (1765年) |
土浦醤油屋仲間に入る。(江戸、明治、大正時代の土浦醤油屋仲間証文帳が柴沼家に現存する。江戸時代の証文帳は土浦市立博物館に貸出し。) |
明治年間 | 醤油醸造高が増大し、新たに諸味蔵(大新蔵)を造る。年間200石(36KL)に達する。 |
明治40年(1907年) | 家業を会社組織とし合資会社柴沼商店とする。 |
大正9年(1920年) | 諸味蔵(辰巳蔵)を造る。 |
昭和23年 (1948年) |
第二次大戦を乗り越え柴沼醤油株式会社を設立。 |
昭和33年 (1958年) |
柴沼醤油醸造株式会社設立。 |
昭和36年 (1961年) |
原料処理、製麴を行う正栄蔵新設。 |
昭和43年 (1968年) |
昭和の蔵(大栄蔵)に1本36,000Lの諸味タンク24本(864,000L)新設。 新型諸味圧搾機(K-3型)導入。 |
昭和52年 (1977年) |
板前仕立て醤油「紫峰しょうゆ」新発売 |
昭和53年 (1978年) |
原料処理の為の大広蔵を新設 |
昭和63年 (1988年) |
創業300年
300周年記念事業として食品総合研究所 設立 創業300周年記念商品「あわ漬」新発売 |
平成2年 (1990年) |
醬油圧搾機(Y2型)導入 |
平成10年 (1998年) |
「国際線機内食めんつゆ30g」発売 |
平成13年 (2001年) |
柴沼醤油販売㈱を設立し通信販売業務に進出 |
平成16年 (2004年) |
明治時代の蔵(大新蔵・木桶21本)を工場見学コースに改修。 大正時代の蔵(辰巳蔵)にも諸味木桶46本がある。 |
平成17年 (2005年) |
茨城県産丸大豆、小麦を原料とした生醤油「お常陸500mℓ」発売 |
平成18年 (2006年) |
生醤油「お常陸500mℓ贈答品」が茨城県主催の 「茨城デザインセレクション2006」で特別賞受賞 |
平成20年 (2008年) |
柴沼醤油醸造株式会社に社名変更 |
平成24年 (2012年) |
食品産業センター主催「平成23年度優良ふるさと食品中央コンクール」で生醤油「お常陸」が最高位の農林水産大臣賞を受賞。(茨城県初) 香港Food Expo,フランスSIAL展示会に「お常陸」他の商品を出展。 海外輸出を本格的に開始する。 「がごめ昆布のうまとろドレッシング」発売。 |
平成25年 (2013年) |
生醤油「紫峰の滴」とめんつゆ「紫峰つゆ」がSuperior Taste Award(優秀味覚賞)2013でともに二つ星を受賞。 「お常陸」が雑賀技術研究所主催の「食の3重丸セレクション」受賞。 |
平成29年 (2017年) |
鮮度保持ボトル入り「紫峰」、「減塩紫峰」発売 海外輸出部門を分社化し㈱柴沼醤油インターナショナル設立。 |
平成30年 (2018年) |
創業330周年記念商品「貴醬油」(木桶仕込み生しょうゆ本醸造超特選鮮度保持ボトル入り)発売。 鮮度保持ボトル入り「ポン酢ゆずかつお」発売。 |
令和1年 (2019年) |
本社工場全部(醤油醸造部門、調味液製造部門)を対象とした食品安全システムの国際規格であるFSSC22000の認証取得。 |
令和3年 (2021年) |
100年前の辰巳蔵(大正時代)内の60石(10,000ℓ)木桶と30石(5,000ℓ)木桶8本を100年ぶりに新調。 弊社には諸味木桶が67本あります。 |
創業元禄元年(1688年)
柴沼家(土浦市)は醤油を造り続けて330余年(創業元禄元年1688)になります。 同じ場所、同じ一族の経営のもとで、一度も途絶えることなく続けてきた営みの跡は敷地内のいたる所に見られ、中でも江戸、明治、大正のそれぞれの時代に造られた蔵とそこに置かれた木桶は昭和、平成の近代的製造工場と共存し今だ現役の姿を見せています。 古い蔵や木桶に棲みつく様々な種類の菌の働きが当社の醤油醸造においては重要であり、「柴沼の醤油」の個性の源となっています。
醤油業界のマーク『亀甲』の由来
商号: キッコーショウ
柴沼家の商号「キッコーショウ」の由来は江戸時代にさかのぼります。 赤穂浪士の討ち入りと同時代の土浦藩主土屋政直侯は、藩内で収穫される良質の大豆と小麦に着目し、藩の有力な商品として醤油醸造を奨励し販売させました。当時ぜいたく品であった醤油は江戸幕府老中を務める土屋侯の後押しを得て江戸に販路を拓きました。 土浦の醤油のマークにキッコー(亀甲)印が多いのは、その形から亀城とよばれた土浦城に由来します。柴沼家は政直侯より「亀印のもと正しく商う」ということで「亀甲正(キッコーショウ)」をいただきました。(「常陽芸文」1992年2月号「醤油どころ今むかし」)
土浦は関東の醤油の三大名醸地
筑波山と霞ヶ浦 霞ヶ浦と帆曳船
江戸時代も明和2年(1765年)頃になると土浦では、醤油醸造が更に盛んに行なわれており、中でも柴沼家を含む有力な19軒の醤油醸造家が醤油仲間の組合を作って価格や生産量を決め、江戸に高瀬船で搬送していました。(醤油屋仲間証文帳 柴沼家蔵 土浦市立博物館に貸出し) 醤油のことを「御下地 おしたじ」(広辞苑第2版)ともいうのは常陸の国(現在の茨城県)で生産された醤油が美味しく評判がよかったので「常陸(ひたち)の国の醤油」、「お常陸 おひたち」が転化したものと言われています。又、醤油の異称「紫 むらさき」は筑波山の雅名「紫峰」「紫山」を語源とする説がこの地方では有力です。 江戸から明治にかけての土浦が野田、銚子と共に関東の醤油の三大名醸地と称されたことの証です。 明治以降、時代の流れの中で醤油仲間は様々に業態を変えていきましたが、柴沼醤油醸造は桜川、霞ヶ浦、利根川、江戸川、さらに江戸市中の水路を通って直接江戸日本橋へ運ばれた土浦の醤油の歴史を伝えながら今も桜川のほとりで醤油を作り続けています。